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国内・海外問わず、多くの人が行き来する数多のタワーマンションと、大規模な商業施設が集う街【有明・豊洲・東雲エリアの歴史】

再開発により利便性は向上。暮らしやすく、賑わいのある「湾岸エリア」

東京中央区の勝どき・晴海・月島、江東区の豊洲・東雲・有明、港区台場などから成る「湾岸エリア」。

かつては工場や飛行場、貯木場などが立地していたが、銀座や大手町など東京中心部へのアクセスの良さに加え、羽田空港や成田空港へのアクセスも良く、住宅地としての開発が進んだエリアだ。

ここでは湾岸エリアの中でも、「有明」「豊洲」「東雲」エリアにフォーカスしてみよう。東京都が策定した7番目の副都心である「東京臨海副都心」の一角にあたる、有明エリア。

国際的なイベントや展示会などが行われる「東京ビッグサイト」があり、国内外より多くの人が訪れる。ショッピングモール・ホテル・シアター・スパ・劇団四季専用劇場などを有する「有明ガーデン」が2020(令和2)年に開業し、更なるにぎわいをみせている。

暮らしやすい環境が整う「有明・豊洲・東雲」

2018(平成30)年に「豊洲市場」が開場したことも記憶に新しい、豊洲エリア。人気商業施設「アーバンドック ららぽーと豊洲」の他、近代的なオフィスビルも建ち並ぶようになった。2005(平成17)年1月に9,484人だった豊洲1丁目から6丁目の総人口は、2020年(令和2年)年1月には37,708人になり、15年間で約4倍にまでなっている。

日本で2例しかない、「高層住居誘導地区」に指定された地域を含む、東雲エリア。有楽町線「辰巳」、りんかい線「東雲」の2駅が利用しやすく、有楽町、渋谷や新宿にもダイレクトアクセスできる。24時間営業の食品売場のある「イオン 東雲店」など、暮らしやすい環境が整っている。

「湾岸エリア」の発展と現在

江戸・東京の湾岸地域は江戸開府当初から防衛と交通の要衝であった。明治時代に入ると築地は居留地となり、ホテルや公使館教会などがつくられた。沿岸エリアの埋立ては江戸期よりスタートし、徐々に沖へと埋立て地は拡大していった。その後工業の発達にともなって、多くの住民も暮らす町として賑わいをみせた。

埋立て地は昭和初期以降、さらに拡大。戦後も東京の湾岸エリアは、工業地やエネルギー基地、物流拠点、貯木場などとして、日本・東京の高度経済成長を支えた。1980年代頃より「臨海副都心」の開発が検討され、その後建設に着手。「レインボーブリッジ」「ゆりかもめ」が1990年代に開通、「東京ビッグサイト」や「フジテレビ本社」など多くの施設が生まれた。

「豊洲エリア」の変遷

昭和40年代の「豊洲」の様子 写真提供:東京都港湾振興協会

大正後期から昭和前期にかけて「関東大震災」の瓦礫の処理も兼ねて豊洲の埋立ては行われた。「豊洲」と正式に命名されたのは1937(昭和12)年。1939(昭和14)年には「東京石川島造船所」(現「IHI」)、近代的な造船所「深川第一工場」(その後、「第二工場」「東京第一工場」へ改称)が開設される。「東京第一工場」は2002(平成14)年に閉鎖。その跡地で「豊洲二丁目土地区画整理事業」が進められた。

2006(平成18)年には、まち開きされ、同年にゆりかもめ「豊洲駅」が開業。商業施設の「アーバンドック ららぽーと豊洲」の開業や「豊洲公園」がリニューアルオープンするなど大きな変貌を遂げてきた。

東京のエネルギー基地が「豊洲市場」へ

昭和30年代前半頃の「豊洲埠頭」 写真提供:東京都港湾振興協会

戦後、日本政府は経済再建のため、鉄鋼と石炭に資材や資金を重点的に投入する「傾斜生産計画」を策定した。1948(昭和23)年に「東京港応急整備工事」として埋立て工事を開始、「豊洲石炭埠頭」の供用が1950(昭和25)年に始まった。

その後、「東京ガス」や「東京電力」によって埋立てが実行され、石炭を使用した「新東京火力発電所」が1956(昭和31)年に、そして石炭からガスを製造する「東京ガス豊洲工場」が操業された。さらに1959(昭和34)年には、「東京鉄鋼埠頭」によって「豊洲鉄鋼埠頭」が完成。これらの一帯は東京のためのエネルギー基地として稼働をはじめた。

1990(平成2)年になると、周辺の市街地化やエネルギー関連施設の停止などの理由から、東京都により「豊洲・晴海開発整備計画」が策定される。都市的な土地利用への転換が進められ、1988(昭和63)年に「東京ガス豊洲工場」が廃止に。その跡地は「築地市場」の移転先として検討され、豊洲への移転が2001(平成13)年に決定。数年を経て、2018(平成30)年に「豊洲市場」が誕生した。

「東京ビッグサイト(東京国際展示場)」を建設

「東京臨海副都心」の一角にあたる有明エリアのうち、戦後に埋立てられた南地区。1979(昭和54)年に「東京臨海副都心」の計画の検討がスタートし、コンベンション・センターの「東京ビッグサイト」(正式名称は「東京国際展示場」)などが建設された。

「東京ビッグサイト」などの建設中の様子 写真提供:東京都港湾振興協会

上記写真は1994(平成6)年のもので、建設中の「東京ビッグサイト」などの様子がわかる。写真左にある四角い建物が「西展示棟」、その右隣の4本の柱が「会議棟」、写真右側では「東展示棟」にあたる。1996(平成8)年に晴海の「東京国際見本市会場」が移転する形で「東京ビッグサイト」が開設された。

―――――以下、注釈について―――――

本記事は、(株)ココロマチ が情報収集し、作成したものです。

記事の内容・情報に関しては2022年11月時点のもので、今後変更の可能性があります。

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