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江戸時代より東海道品川宿として発展。さらなる再開発の進む街【品川・三田エリアの歴史】

さらなる発展が期待されるターミナル駅を擁する

品川区は東京23区の南西にあり、古くからベッドタウンとして成長を遂げてきた。近年はオフィスも増え、ビジネスセンターとしての機能も有している。「品川」駅周辺や臨海部を中心に整備された商業地などの「新しさ・先進性」の魅力を持つエリアだが、旧東海道品川宿の街並みや寺社仏閣、品川浦の水辺空間の「伝統・歴史性」といった趣も併せ持つ。古くから交通の要衝として、そして現代では首都東京の玄関口として、重要な役割を果たしている。

「品川」駅は京急線で「羽田空港」駅までダイレクトアクセスでき、東海道新幹線も停車するなど、品川区の玄関口としても機能する都内有数のターミナル駅だ。さらに、新たな地下鉄の乗り入れも予定され、2022(令和4)年3月に東京メトロ「白金高輪」駅から「品川」駅間2.5kmの鉄道事業許可を受け、2030年代半ばでの開通が予定されている。

文教都市としての個性をもつ「品川・巨田」

三田エリアは慶應義塾大学の三田キャンパスがあり、学生街として知られている。また、ビジネスの中心地としても発展してきた。「芝浦アイランド」周辺の整備も完了し、暮らしやすさも向上している。エリア内には、1日東海道や寺町として栄えた歴史を伝える史跡も点在しており、江戸時代の武家屋敷の面影が残る邸宅街と、活気あふれる現代的な風景が調和する街といえるだろう。

日本最初の駅と宿場町として栄えた「品川」

品川区の区名である「品川」の由来は「目黒川」の古名だ。その河口に位置していた「品川」の町は、中世より「江戸湾」の湊として栄えた。多くの寺社も建立され、江戸期になると「東海道」の最初の宿場町として発展する。かつての「品川宿」を中心に。1889(明治22)年に品川町が誕生した。

東京の拡大に伴って、1932(昭和7)年に周辺の郡部が東京市に編入。いわゆる「大東京市」が誕生した。品川町・大井町・大崎町の町域を合わせて、(旧)品川区が生まれた。東京特別区制実施により、1947(昭和22)年、(旧)品川区と荏原区が合併し、現在の品川区に至る。

日本最古の宿場と駅「品川」

『東海道五十三次』に描かれた「品川宿」

「東海道五捨三次品川 日之出」歌川広重(1895年頃) 国立国会図書館蔵

徳川家康は江戸と京都を結ぶ「東海道」の整備に1601(慶長6)年より着手した。江戸の出入口として最初の宿場として品川宿」が置かれ、人・物資・文化の集まる地に。また江戸の遊興の地としても賑わいをみせた。

上図は歌川広重が1835(天保6)年頃に描いた『東海道五拾三次品川 日之出』大名行列が日の出の時刻に到着した「品川宿」の入口付近と、「八ツ山」が描かれている。現在は「八ツ山橋」が架けられている付近である。

日本最古の公園のひとつ「芝公園」

明治後期の「芝公園周辺の様子」 生田誠提供

江戸幕府将軍家・徳川家の菩提寺である古刹・増上寺の境内であった「芝公園」。明治維新後に一帯が一般開放され、そして戦後になると公園として整備されたものだ。

増上寺を囲むように広がる広大な敷地の中に「都立芝公園」と「区立芝公園」が混在。2つの園を総称して「芝公園」と呼んでいる。増上寺の境内であった頃から生えている緑豊かな木々が茂り、園内には貝塚や古墳など歴史的価値の高い史跡も多く点在している。

日本初の鉄道開通時に生まれた「品川停車場」駅

1906(明治39)年頃の「新橋」方面へ走る貨物列車 生田誠提供

日本初の鉄道が新橋(現・汐留)・横浜間に1872(明治5)年に開通。芝エリアには「新橋駅(初代)」のほか「品川駅」(品川停車場)といった起点となる駅が設置され、交通・物流の拠点に。1909(明治42)年10月にこの鉄道は「東海道線」と路線名が制定され、同年12月には「烏森駅」(現「新橋駅」)や「浜松町駅」、「田町駅」も開業した。

日本で最初に開業した駅となった「品川停車場」。当初「品川停車場」が置かれた場所は、「品川宿」の中心地から少し北側に外れた「八ツ山橋」のすぐ北側の海岸沿いだった。現在の「品川駅」より300mほど南側にあったとされている。下の写真は明治初期頃の「品川停車場」。

明治初期の「品川停車場」 生田誠提供

―――――以下、注釈について―――――


本記事は、(株)ココロマチ が情報収集し、作成したものです。

記事の内容・情報に関しては2022年11月時点のもので、今後変更の可能性があります。

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