晴海エリアについて
今後の進化に期待大の街
1931年に埋め立てが完了した晴海エリア。戦前は東京市庁舎の建設や日本万国博覧会の開催地となる計画があったものの、いずれも立ち消えに。戦後はアメリカ軍に接収され、完全に返還されたのは1958年のことです。
返還は1953年から段階的に始まっており、再開発は徐々に進められていました。そして1957年、「日本住宅公団」(現「UR都市機構」)によって「晴海団地」が建設されると街並みが一気に変貌します。中には晴海団地高層アパートと呼ばれる10階建ての棟もあり、高層化住宅へ向けての第一歩として注目されていました。この一帯は、平成に入って再開発が行われ、商業施設やオフィススペース、住居棟からなる晴海アイランド トリトンスクエアに生まれ変わりました。朝潮運河の面しており、ウォーターフロントでの生活が満喫できる立地。近隣でも高層マンションの建設が進み、今後もエリア全体はどんどん整備されて行くことでしょう。
晴海エリアは、都内各方面からの都営バスの運行は多いものの、鉄道駅はお隣の勝どきに都営大江戸線勝どき駅があるのみとなっています。
3棟のオフィスビルを中核とする晴海トリトンスクエア完成後は通勤時の混雑が激しく、晴海通りの北側歩道は小さな子どもが歩くのは注意が必要といわれるほどです。
しかも、その後も大規模マンションの建設が進み、現在も晴海二丁目、三丁目でそれぞれ総戸数1,500戸前後のツインタワーの建設が進められおり、晴海への玄関口ともいうべき勝どきエリアでも、勝どき五丁目再開発プロジェクトによって勝どき ザ・タワー竣工。こちらは53階建て、総戸数1,420戸の大規模マンションになります。これらによって、交通事情がいっそう悪化するのではないかと不安視されていましたが、2020年10月1日に新交通システムBRT(バス高速輸送システム)のプレ運行が開始することによる効果に、期待が寄せられています。
勝どきエリアは以前までは幹線道路沿いに雑居ビルや商店が並び、一戸建ても多い下町風情の漂う街並でしたが、都市再生機構などによって駅周辺の再開発が進行しています。下層階が商業施設、上層階がオフィスや住宅といった超高層ビルへの建て替えが急速に進んでいますが、地権者がそのまま下層階の店舗で営業を続けているケースが多いので、近代的なビル群に姿を変えながらも、下町の人情味あふれる街になっています。
隅田川をはさんで築地・銀座方面へ出る道筋は、現在は晴海通りの勝鬨橋しかありませんでしたが、環状2号線の開通で車での交通アクセスが改善されました。
2020年9月更新
※上記は2020年9月現在の情報です。ご覧になった時点で内容が変更になっている可能性がありますので、あらかじめご了承ください。