月島エリアについて
下町情緒と先端が水辺に煌めく街並み
月島とその隣の佃を合わせたエリアは、太平洋戦争の戦災を免れたため、いまでも昭和の佇まいをみせる下町情緒にあふれる街並みが残っています。月島という地名は、東京湾内にあった月の岬という観月の名所にちなんで、当時の東京市参事会で命名されたという説があります。
佃一丁目の住吉神社の祭礼を中心とする地域のコミュニケーションが活発で、昔ながらの人情あふれるエリアといわれています。
なかでも、東京メトロ有楽町線月島駅から勝どき方面に延びる月島西仲通り商店街は「もんじゃストリート」と呼ばれ、80以上のもんじゃ焼き専門店が軒を連ねています。
このエリアが住宅地としての注目を集めるようになったのは、佃に超高層マンションが林立し、昔ながらの街並みと超高層ビル群のコントラスト、隅田川の水辺に浮かぶ摩天楼が何ともいえない味わいを漂わせるようになったことが大きいのではないでしょうか。
もともと、佃は江戸時代に徳川家康が大阪の佃村から漁民を呼び寄せて、この地に住まわせたことに始まります。
江戸時代末期には水戸藩によって石川島造船所が設置され、明治以降月島から勝どき、晴海の埋め立てが始まり、わが国の重工業化を担う工場地帯として発展してきました。その作業員などが月島・佃エリアに多く居住したところから人口が増え、商店街なども形成されるようになったのです。
その後、石川島造船所が廃止され、住宅・都市整備公団(現在の都市再生機構)などによって再開発が行われ、超高層マンション8棟などから成る「大川端リバーシティ21」が誕生します。一定の統一感のある概観、微妙に高さの異なるグラデーションが隅田川と調和、独特の景観が人気を呼び、各種のコマーシャルやトレンディドラマの舞台などに登場しました。特に永代橋方面からこのリバーシティを写し出した光景は有名です。
このリバーシティに続いて、周辺に次々と超高層マンションが建設され、月島駅前の大規模開発が行われたほか、月島西仲通り商店街でもいくつかの大規模開発案件が進められています。
月島駅からは東京メトロ有楽町線・都営大江戸線が利用できるので、銀座一丁目駅や新宿駅、池袋駅へは乗り換えなしでアクセス可能。バス便ですと、月島駅前バス停から東京駅八重洲口までは乗車時間12分ほどで到着します。三方が墨田川や運河に囲まれているエリアのため、豊かな水辺の風景が堪能できる街。下町情緒を味わえる上に都心までもアクセスしやすいとあって、さまざまな層に人気がある地域です。
2020年9月更新
※上記は2020年9月現在の情報です。ご覧になった時点で内容が変更になっている可能性がありますので、あらかじめご了承ください。