歴史を歩く、坂道巡り
かつての情景を思い浮かべながら、
いつもの坂道を歩いてみませんか?
Vol.2稲荷坂・三分坂・雁木坂
・聖坂・牛坂・汐見坂・日向坂・絶江坂
- 1稲荷坂(いなりざか)
- 2三分坂(さんぷんざか)
- 3雁木坂(がんぎざか)
- 4聖坂(ひじりざか)
- 5牛坂(うしざか)
- 6汐見坂(しおみざか)
- 7日向坂(ひゅうがざか)
- 8絶江坂(ぜっこうざか)
1稲荷坂(いなりざか)
港区赤坂7丁目
新坂の坂下から南方150mの所に存在する、蛇行した急勾配の坂道です。坂下北側に円融院があり、その境内に稲荷への入口が存在した為、この名が付いたそうです。また坂上に、江戸城中清掃役の町があったことから、掃除坂という別名があったといいます。
2三分坂(さんぷんざか)
港区赤坂5丁目5番と7丁目6番の間
三分坂は、坂の多い港区の中でも特に傾斜が急な坂として知られています。急坂のため通る車賃を銀3分(さんぷん※百円あまり)増したためという説があり、坂下の渡し賃一分に対していったといわれています。坂下部は報土寺に面しており、港区の文化財となっている築地塀(練塀)が坂に沿って立っています。
3雁木坂(がんぎざか)
港区麻布台1丁目7番と9番の間
麻布台1丁目にある巨大な霊友会釈迦殿の脇にある急な石段坂です。階段になった坂を一般的に雁木坂といいますが、敷石が直角に組まれていたことに由来するともいわれ、当て字で岩岐坂とも書かれます。同名の坂が千代田区神田駿河台にも存在します。
4聖坂(ひじりざか)
港区三田4丁目14番と15番の間
三田4丁目普連土学園の横を南方へ向けて登る坂道です。古代中世の通行路で、商人を兼ねた高野山の僧(高野聖)が開き、その宿所であったためこの名が付いたといわれています。また、竹芝の坂(たけしばのさか)と呼んだとする説もあります。
5牛坂(うしざか)
港区西麻布4丁目10番と11番の間
六本木通りの西麻布交差点を南に進み、最初の信号で西に曲がり、少し上ったところから続く約250mの坂道です。
源経基や白金長者の伝説のある笄橋に続く古代の交通路で、牛車が往来したためこの名が付いたといわれています。
6汐見坂(しおみざか)
港区虎ノ門2丁目
アメリカ大使館前から、国立印刷局とホテルオークラの間を南東に下る坂道です。江戸時代中期以前には海が眺望できました。南側に松平大和守(幕末には川越藩)邸があったことから、大和坂とも呼ばれていました。国立印刷局のフェンス際には、昔は和紙、現在も銀行券用紙の原料として用いられていることに因み、「みつまた」の木が植えられています。
7日向坂(ひゅうがざか)
港区三田1丁目と2丁目の間
二の橋交差点から、古川(渋谷川)に架かる二之橋を渡りながら、西へ上る坂道です。坂を上りきったところで、綱の手引坂(vol.1③)と名称を変えます。 江戸時代前期、坂の南側に徳山藩毛利日向守の拝領屋敷があったため、この名が付けられました。誤ってひなた坂とも呼ばれたといわれています。
8絶江坂(ぜっこうざか)
港区南麻布2丁目と3丁目の間
明治通りから南麻布2丁目と3丁目の境界を南から北へ登る坂道で、薬園坂、新坂と並行しています。承応3年(1654)、曹渓寺が赤坂からこの地へ移転してきました。
初代和尚絶江が名僧で付近の地名から坂名に変わりました。曹渓寺は坂の東側に現存しています。
都心散歩
歴史を歩く、坂道巡り 〜港区篇〜