企業不動産の売買動向-PBR改善と取組み状況
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東京証券取引所が企業に対しPBR(株価純資産倍率)の改善要請をしてから、一年余りが経過しました。要請の背景には、企業の本質的な価値を市場に正しく評価させ、投資家にとって魅力的な投資対象としての地位を確立するという目的がありました。
しかし、PBR改善の道のりは決して平坦ではありません。要請を受けた各企業は多様なアプローチを採り、資産の売却や事業の再編、株主還元策の強化など、創意工夫を凝らした施策を打ち出してPBRの改善を図りました。
この記事では、東京証券取引所のPBR改善要請に応じた企業の具体的な対策とその効果を、企業不動産の売買動向を交えつつ詳しく解説します。
目次
1. PBR1倍割れ企業の問題点と改善要請の背景
PBR(株価純資産倍率)とは、企業の資産価値に対する株価の評価を示す指標であり、PBRが1倍を下回る場合、市場がその企業の株価を純資産よりも低く評価していることを意味します。
このような状態では、投資家からの評価が低く、将来の成長見込みが不透明と見なされ、市場全体での評価も低くなる傾向があります。
さらに、PBRが1倍を下回っている企業は、資本効率が悪く財務状況に問題があると評価されやすいため、借入金の返済能力や収益性への懸念が生じることも。
日本企業の多くがPBR1倍を下回っている現状は、企業価値が適切に評価されていないことを示しており、これが日本企業の国際競争力を低下させ、株式市場での評価の低迷を招く一因となっています。こうした背景から、東京証券取引所が企業にPBR改善を要請するに至りました。
この要請は、企業価値の向上を図り、日本企業の競争力を強化して株式市場での評価を向上させることを目的に、資本効率の改善と企業価値の向上に向けた具体的な取り組みを求めています。
改善要請やPBR対策について詳しく知りたい方は、以下の記事もご覧ください。
関連記事:「PBR対策の選択肢|不動産売却を実施する企業の戦略と動向を解説」
2. 企業不動産の売買動向
ここからは、PBR改善要請を受けどのような変化が見られたか、企業の不動産売買動向より読み解きます。
次章の分析結果から、法人が資産効率の向上や財務体質の強化を目的に、不動産ポートフォリオの見直しや、低収益の資産の売却、成長分野への再投資を進めていることが分かります。企業は、資本効率の改善を図り、株主価値の向上を目指すために、戦略的な不動産売却を行う動きを強化していることも分かるでしょう。
2.1. 不動産を売却した企業数は減少も総額は増加
東京商工リサーチが発表した、2022年度および2023年度の東京証券取引所に上場している企業で、国内不動産の売却を開示した企業の調査結果は以下の通りです(2021年度以前は集計基準が異なるので参考値としています)。
参照:東京商工リサーチ「2022年度の不動産売却は114社、15年ぶりに100社を上回る」
参照:東京商工リサーチ「2023年度の不動産売却は94社 譲渡損益総額は過去最高額を計上」
不動産売却企業数の推移を見ると、2011年度以降、企業の不動産売却は徐々に増加してきました。特に、2021年度には87社に達し、2022年度にはさらに114社と急増しています。
この急増の背景には、コロナ禍による経営環境の悪化があり、多くの企業が資金確保を目的に不動産売却を進めたことが考えられます。
2022年度 | 2023年度 | |
---|---|---|
企業数 | 114社 | 94社 |
譲渡損益総額 | 4,439億2,000万円 | 5,680億700万円 |
譲渡益を計上した企業数 | 99社 | 82社 |
2022年度と2023年度を比較すると、不動産売却を開示した企業数は減少していますが、譲渡損益の総額が増加しています。これは、2023年度における不動産市場の地価上昇が影響していると考えられます。2023年度には、譲渡益を計上した企業が増加し、譲渡損を計上した企業が減少したことからも、市場の好調さが伺えるでしょう。
また、コロナ禍による経営悪化が原因で不動産を売却する企業が多かった2022年度と比較すると、2023年度には経済活動の再開に伴い、資金確保や財務体質の強化を目的とした戦略的な資産売却が増加しました。このように、企業の不動産売却動向は単なる資金調達手段から、より戦略的な財務運営の一環として位置づけられるようになったのです。
東京証券取引所のPBR改善要請は、企業の不動産売買動向に大きな影響を与えたと考えられます。特に、PBRが1倍を下回る企業では、低収益の遊休不動産や非効率な資産を売却し、その資金を成長分野への投資や株主還元に充てる動きが強まっています。
具体例を挙げると、PBR改善要請を受けた企業は、自社の資本効率を向上させるために、資産の再配置を行う必要性を強く認識するようになりました。これにより、2023年度には多くの企業が戦略的に不動産を売却し、その譲渡益を財務体質の強化に充てる動きが顕著に見られます。
こうした動きは、企業が成長を目指して資産を有効に活用するという戦略転換を示しており、PBR改善要請が企業戦略に与える影響の大きさを物語っています。
さらに、地価上昇が企業の売却益を増加させる要因となっており、結果として財務の健全化に寄与しました。このような不動産売却を通じた企業の資本効率向上は、今後もPBR改善の取り組みとして続くことが予想されます。
2.2. 不動産売却企業のROE(自己資本利益率)は低水準
では、不動産売却と財務指標はどう関連するのでしょうか。不動産売却を行った企業と行っていない企業のROEをそれぞれ見ていきましょう。
なお、ROEとは企業がどれだけ効率的に利益を上げているかを示す指標のことです。ROEが高いほど、少ない資本で多くの利益を生み出していることになります。
参照:CCReB GATEWAY「2023年度_国内上場企業の不動産売買動向と財務指標(ROE・ROA・ROIC・自己資本比率)に関する考察」
ククレブ総合研究所の調査によると、2023年度に不動産を売却した企業のROE(自己資本利益率)は中央値が3.7%、平均値が5.9%に対し、不動産売却を行っていない企業は中央値が7.2%、平均値が9.8%でした。
この結果から、不動産を売却した企業はそうでない企業と比較して、利益を効率的に上げる能力が低いことが分かります。
特に不動産売却を行った企業のうちROEが8.0%未満だった企業は、全体の74%に達しています。これは多くの企業が利益率の低い状態にあったということで、東京証券取引所のPBR改善要請がここでも影響したと考えられます。
東京証券取引所のPBR改善要請を受け不動産売却を行った企業が多く見られましたが、これらの企業はROEが低い傾向にあることが特徴的です。不動産売却による資産の効率化を図りつつも、利益を効率的に上げる能力には依然として課題が残っていることが示されています。
ROEが低い企業の多くは、資本効率の悪さ、成長戦略の欠如、低収益の資産の保持などの特徴を持つ傾向があります。不動産売却を行った企業の多くは、こうした資本効率の低さを改善する目的で、低収益の資産や遊休不動産を売却する選択をしているのです。
不動産を売却することで、不要な資産を削減し、その資金を成長分野への再投資や、財務体質の強化に充てることが期待されています。
また、株主還元策を強化し、企業価値の向上を図るという意図もあります。譲渡益を得ることで財務指標を改善し、株主価値を向上させると同時に事業ポートフォリオの最適化を目指す動きが見られます。これは、単なる資金確保ではなく、長期的な企業成長を見据えた戦略的な不動産売却と言えるでしょう。
こうした不動産売却を通じた資本効率の改善は、PBR改善の取り組みとして今後も重要な役割を果たすことが予想されます。
3. PBR改善要請後の効果と企業の対策進展
2023年3月に東京証券取引所がPBR改善要請をしてから、この1年でどのくらいの効果があったのでしょうか。
日本経済新聞の資料によると、2023年3月末時点の東証プライム上場企業のうちPBR1倍割れの企業は890社と全体の49%でした。1年後の2024年3月末時点では、649社と4割弱まで減少しました。
全体の株価水準が切りあがったことでPBR1倍割れを脱した企業も見られますが、企業の対策が功を奏したことも大きな要因と言えます。
また、何らかの対策を開示した企業数(検討中を含む)にも変化が見られました。プライム市場では、2023年12月末の49%(815社)が2024年7月末には86%(1,406社)へ、スタンダード市場では19%(300社)が44%(701社)へ増加しています。
参照:東京証券取引所「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」に関する開示状況
上記のプライム市場におけるデータからは、PBRが低く時価総額が大きい企業ほど開示が進んでいることが分かります。例えば、PBRが1倍未満で時価総額が1,000億円以上の企業では、97%の企業が情報を開示しました。時価総額が相対的に低い企業でも、徐々に開示が進んでいます。
しかし、1年間でPBR1倍割れの企業が減少した一方、依然として4割弱の企業がPBR1倍割れとなっています。時価総額が低い企業はまだまだ開示率が低く、引き続き企業の対策が求められているのが現状です。
情報開示の進展は、企業の経営透明性を高め、投資家の評価を改善する重要な手段です。特にPBR1倍未満の企業は、情報開示を通じて自社の価値を正当に評価してもらうことでPBR改善につなげようとしています。
では、具体的に改善要請を受けた企業はどのような対策を講じているのでしょうか。事例を詳しく見ていきましょう。
3.1. 事例|自己株式の取得
自社株を買い戻すことで株価を上昇させ、PBRを改善する方法です。自社株を買うことは、市場に出回る株の数を減らし、需給バランスを変えることで株価を上げる効果があります。企業が自社の成長を信じているというメッセージを投資家に伝えたり、信頼を高めたりすることが可能です。
大和総研が発表したレポートによると、2022年度は過去20年で自社株買い実施額が最も多い年でした。2023年度は件数が10件減少、総額も2,110億円減少したものの、2022年に次ぐ2番目に多い水準でした。
一方、PBR0.5倍以下の企業では、自社株買いの拡大(28社)よりも縮小(39社)が多く、0.5倍超から1倍以下の企業でも、拡大(69社)より縮小(61社)が多い結果となりました。
3.2. 事例|配当の増額
配当を増額することでもPBRの改善を図れます。これは株主への直接的な利益還元であり、株価の上昇を促します。業績が良い企業が配当を増額すれば、投資家の関心を引き、株価を上げることが期待されます。
配当の増額は企業の財務健全性や成長への自信を示し、投資家の信頼を高め、長期的な株価上昇を支える効果もあります。特にPBRが1倍を下回る企業にとっては、投資家の評価を改善し、株価を適正な水準に戻す有効な手段です。
日本国内では配当を増額する企業が増加しており、2022年の証券取引所第一部の単純平均利回りは1.865%で、前年の1.719%より上昇しています。さらに2023年(8~12月)は市場の再編によってプライム市場が対象となり、2.196%に上昇しました。
3.3. 事例|事業ポートフォリオの最適化
事業ポートフォリオの最適化は、企業が経営資源を効果的に活用する方法です。収益性の低い事業や非中核事業を売却し、成長性の高い事業に集中することによって全体的な事業効率を向上させ、株価の上昇が期待されます。
また、事業ポートフォリオの最適化は企業戦略を明確にし、競争力を強化するための重要な手段です。日本国内では多くの企業が積極的に取り組んでおり、特に製造業やサービス業で事業再編が進められています。例えば、2022年度には大手製造業が非中核事業を売却し、デジタル分野への投資を強化しました。
参照:富士キメラ総研「『2023 デジタルトランスフォーメーション市場の将来展望 市場編/ベンダー戦略編』まとまる」
3.4. 事例|不動産(資産)の有効活用
遊休不動産を売却したり賃貸に出したりすることによって、資産の効率的な運用を図る事例もあります。これにより資本効率が向上し、投資家の評価が高まって株価の上昇が期待されます。
また、不動産の有効活用は、企業の財務体質を強化する手段です。余剰資金の売却によって得た資金を成長分野への投資や借入金の返済に充てることで、財務状況が改善されます。
国内では、多くの企業が不動産の有効活用に取り組んでおり、特に都市部の高価値不動産の売却や再開発が進んでいます。例えば、2022年度には大手企業が都心部のオフィスビルを売却し、得られた資金を新規事業への投資に充てる動きが見られました。
参照:三幸エステート「2022年の先進オフィス事例を振り返る」
4. 不動産の売却・取得の判断はPBRにも影響する
不動産取引は企業の財務戦略において重要な役割を果たします。不動産の売却や取得の判断は、企業の収益性や健全性に大きな影響を与えます。
特にPBR(株価純資産倍率)が低く改善に悩んでいる企業は、不動産取引を財務改善の手段として考慮することも1つの選択肢です。
東京証券取引所に上場している企業のうち、2023年度に不動産を売却した企業数は前年度よりも減少したものの、総額は前年度を大きく上回りました。結果から、2023年度は経済活動の再開に加え、PBR改善要請を受けた企業が戦略的な資産売却に取り組んだことが伺えます。
今後も、PBR1倍割れの企業はさらなる資本効率の向上を目指し、不動産を含む資産の最適化を進めていくことが予想されます。特に、財務の健全化や株主価値の向上を図るため、引き続き戦略的な不動産取引が行われる可能性が高く、これにより企業の収益性改善に寄与することが期待されるでしょう。
宅地建物取引士
矢野 翔一 氏
Shoichi Yano
関西学院大学法学部法律学科卒業。有限会社アローフィールド代表取締役社長。
保有資格:2級ファイナンシャルプランニング技能士(AFP)、宅地建物取引士、管理業務主任者。
不動産賃貸業、学習塾経営に携わりながら自身の経験・知識を活かし金融関係、不動産全般(不動産売買・不動産投資)などの記事執筆や監修に携わる。